39歳で脱サラして起業。藤森譲さんが2度の転職を経てギター工房の店主になった理由
長野県御代田町でギター工房「Joe Forest Guitar House」を営む藤森譲さん(60)。
24歳〜39歳までは会社員として、40歳〜60歳になる現在までギター工房で自営業としての2つの経験を持つ藤森さんだが、若い頃は音楽の道で生計を立てる事を目指していたという。
そんな藤森さんはなぜ、一度は諦めた音楽の道で再び独立することになったのか?
また、会社員時代を振り返って、
「決して楽しい会社員時代ではなかったですが、その頃に身につけたスキルは自営業として独立してからも決して無駄になっていない。」
と話すその理由とは?
大学卒業まで音楽にのめり込んでいた
出身について
私の生まれは京都なんですが、意識のない頃から中学生になるまで大阪、東京など各地を転々としていて、中学生になってから大学を卒業するまで兵庫に住んでいました。
ギターを手に取った中学生時代
中学生になるとテレビに出ているかっこいいバンドに憧れて、自然な流れでギターを手に取っていましたね。
髪を伸ばして、少し服を破いたりして(笑)、学園祭で演奏したりもしていました。
将来を考え始めた大学生時代
音楽は好きだったので、大学生になってもバンドを組んで続けていました。
その頃は本当に楽しくて、週末は毎週の様にライブハウスでステージに上がってライブを開いていましたね。
でも、時が経つにつれて同じバンドの先輩が大学卒業に合わせて実家の家業を継いだり、サラリーマンになっていく姿を見て、音楽の道で生計を立てていくのは難しいんだという事を実感しました。
それから自分自身も大学卒業に近づいてきた時には、自然とギターを置いて髭を剃ってスーツをきて就職活動を始めました。
大学卒業後は39歳まで会社員生活を続ける
1社目
大学を卒業してすぐに就職した会社はカメラフィルムを扱っている会社でした。
ここは仕事内容が凄くハードな会社で、週の休みは日曜日だけでその日曜日さえも出勤する事も珍しくありませんでしたし、朝夜関係なく、もちろんお盆や正月も休みはありませんでした。
でもその頃はSNSなんかもなかったので、自分がしている仕事が激務かどうかも分からない状態で。
そんな時に、たまたま大学時代の友人と会う機会があって仕事の話をした時に、自分がどれだけ激務の会社にいるかを知ったんです(笑)。それを聞いてから、3年ほど働いた会社を辞める事を決意しました。
2社目
まだ1社目で働いていた時に、誰もが知っているような大企業の専務さんとたまたま知り合って、ご飯に連れて行ってもらう機会があったんですね。そんな時に、その専務さんに1社目の不満を相談していたら、「ウチに来ないか?」と言われたんです。その会社は隔週週休2日制で前より条件がよかったのと、1社目を辞める事は決めていたので、その会社でお世話になることにしました。
その会社では磁気テープの販売事業部に配属されて働くことになったのですが、実際に働いてみると1社目の会社とは正反対の会社でした。仕事は全く忙しいわけではないのですが、派閥などの人間関係が複雑な会社でした。
誰とご飯を食べに行ったかや、誰の指示で仕事をしたかが重要で、人の顔色をみて仕事をしている人ばかりで、そんな環境に嫌気が刺した私は2社目も半年ほどで退職したのですが、この時は次の就職先も決まっていませんでした。
(私を会社に誘ってくれた専務さんには本当に申し訳ないことをしたと思っていて、数年後に手紙で謝罪しました。)
貯金を切り崩して生活していた3社目に入るまでの期間
サラリーマンとして働く事にうんざりしていた私は、働く気も起きずしばらくは貯金を切り崩して生活する日々が続きました。
その頃は、友達が立ち上げたイベント会社のアルバイトでイベント会場でギターを演奏したりもしていたのですが、やはり音楽の仕事をしている時は楽しかったので、これで生計を立てられるといいなと思っていたら、昭和天皇が病気になられた事によってイベントが全て中止になり、ギターのアルバイトも無くなってしまったんですね。
それが丁度、仕事を辞めてから3,4ヶ月くらい経ったくらいだったのですが、本気で自分の状況はまずいなと思う様になってから、正式に仕事を探す事にしました。
3社目
まずコンビニにある求人雑誌を開いて、自分の条件にあった会社探しを始めました。
その当時は、バブルに向かって景気がじわじわと上がっていた頃だったので、採用市場は完全に売り手有利でした。
それにプラスして私には、
・1社目と2社目で営業職の経験あり
・独身
・20代
という武器があったので、採用試験を受けた会社は全て合格する事ができたんです。
そうしたら段々と就職活動自体が楽しいモノに変わっていって、世の中には色々な仕事がある事を知る事もできました。
最終的には、当時趣味で続けていたバンドの活動を続けたかったので、転勤を断る事のできる建材の商社を選びました。
その会社に入る時は、
「3年くらい働いて業界についてある程度分かったら他の業界に転職しよう。」
と考えていたのですが、バブルが崩壊した事によってそのプランは崩れました。
結局この会社に39歳までいる事になるのですが、景気が悪くなった時は社員のリストラに関わったりと本当にしたくない仕事もしてきました。
39歳の時に脱サラして起業
趣味で作ったホームページが起業のきっかけに
3社目の会社を辞める5年前くらいに、インターネットが家庭に普及し始めてきていた事もあって、私は当時、全部揃えると100万円近かったappleのmacパソコンを購入したんです。
それからは、勉強がてらホームページを作って、ギターいじりの情報をそのホームページで発信し始めたんです。
そうすると、そのホームページを見た人からギター修理の依頼が来る様になったんですね。最初は、ホームページからの依頼は断っていたんですが、段々と実際の知り合いからもギターの修理を頼まれる様になり断れなくなっていって、少しずつギターの修理でお金を貰えるようになっていきました。
その時に、
「もしかするとこれは仕事になるかもしれない。もし給料が減ったとしてもギターの修理を仕事にしたら自分自身も楽しいぞ!。」
と思いました。
自宅の一階を改造してギター工房を開業
39歳の時に脱サラを決意して、自宅の一階を修理場に改築してギター工房を始めました。
私がギター工房を始めた頃は、楽器修理店の集客は楽器商社や大手楽器店に頼り切っていて、大手の楽器商社が修理依頼を受けて、下請けの楽器修理店が修理するという構図が出来上がっていました。
だからこそ私は、代理店を通さずに仕事を取れる様になりたいと思って、当時ではあまり考えられないお客さんに私のギター工房に来て頂いて目の前で直す様にしていました。
それからはギター工房のお客さんも順調に増えていき、20年間大阪で商売を続ける事ができました。
大阪で20年間商売をした後、長野県御代田町へ移住
還暦(60歳)を迎えるにあたって、自分の人生を振り返ってみると、大学を卒業してから大体15年くらい会社員をして、ギター工房を大体20年くらいやってきた。ギターの修理は凄く楽しいと思える仕事なので続けたいけれど、残りの人生はもう少し涼しい所で過ごしたいなと思って長野県御代田町への移住を決意して、今はこの御代田の地で「Joe Forest Guitar House」を続けています。
ーー御代田町に来て何か変化はありましたか?
仕事に関しては内容は変わってないけど、量はガクンと減りました。
あと、御代田町で店舗の準備をしている時は、お客さんがいない雰囲気やちょっとした不安からか開業当初を思い出しました。
今後の展開について
今のお客さんとの関係性を大事にしていきたいと思っています。御代田に越してきてギター工房をやっていますが、正直不満のない日々を送れているので、今後新しい事業を始めるとかは一切考えていません。
質問コーナー
ーー会社員時代を振り返ってみた感想を教えてください
まだ振り返るには早い気はしますが(笑)、、
実際ギターの修理・製作で起業して、軌道に乗り始めた時は正直、
「もっと早く会社員をやめて起業していればよかった!。」
と思っていたのですが、起業してから会社員時代に経験した事や身につけたスキルが役に立った事がたくさんありました。
なので、当時はあまり楽しいと思えなかった会社員時代も無駄だったのではなく、意味があったのだと今となっては思う事ができます。
昔苦手だった上司に言われた事なども自分がその歳になってみて理解できるようになった事もあります。
ーー全ての経験は必ず役立つとお考えですか?
そういうわけではありません。
実際に自分が経験した事や、身につけたスキルを活かす事ができるかは自分自身がどんな環境にいるかで決まります。
どんな凄いスキルを持っていても、そのスキルを活かせる仕事に就いていないと意味がないと思っています。
ーーギター工房をやられていてメリットに感じる事を教えてください
好きな事をやれているのはとても大きなメリットだと思います。
ギターの製作をしている中で、自分がいいと思ったギターができた時の気持ちは何にも換え難いです。
ーーギター工房をやられていてデメリットに感じる事を教えてください
これはやはり孤独ですね。
会社にいると、失敗したら庇ってくれる上司がいて、落ち込んだ時は慰めてくれたり、自分の苦手な事をやってくれる同僚がいて、応援してくれる後輩がいて、たくさんの人間でチームを組んで仕事をする事ができますが、自営業だとお金に関する事からクレームの対応、それから販促や広告まで全て自分でやらなければいけません。
全ての事において自分で決める事には孤独感が伴います。
ーー孤独感によって気持ちが落ち込んでしまうことはありますか?
クレームがあったりすると落ち込むことはもちろんあります。
でも私は、嫌な事から逃げずに取り組む様にはしています。1人だから誰も助けてくれないですしね。
ーーギター工房をされていて拘っていることはありますか?
私が製作してお客さんに買ってもらったギターの調子が悪い時に、他の修理店へ持って行かれたり、自分が修理をする時に困らない様な仕事をしようと心掛けています。
あとは、できるだけ職人感を出さないように気をつけています。職人というと気難しいイメージがあるのですが、それをできるだけ無くしてお客さんとの信頼関係を築く様にしています。
若者に向けて
ーー「やりたい事がない」、「何をやったらいいのかわからない」と言う若者にはどんな言葉をかけますか?
まず伝えたいのは、今の時代を作った世代として本当に申し訳ないと思っています。
私自身は、ずっと音楽と続けてきたのでやりたい事がない気持ちは分からないけども、やりたい事を見つけようと思ってもすぐには見つからないと思っています。
それに対してきっと今の若者は、なんだか現状に満足できない、不満があるという気持ちを抱えているんだと思いますが、それは悩む事でも、責めるべき事でもないので自分を悲観しなくても大丈夫です。
でももしも、そういった焦燥感を抱えているのであればじっとしていても世界は広がりません。世の中には自分が思っているよりもたくさんの職種があるし、全く考えていない様な仕事をしている人もいます。
自分の脳みその中には自分が生きてきて見た事しかないので、その外にある世界をたくさん見て触れて欲しいです。それからその職種を聞いた事があるのと、仕事の現場を見るのでは全く違う景色があるので実際にたくさんの仕事を見てイメージが自分の中に吹き込んでくるのを体験して欲しいです!。
ーー最後にこの記事の読者に向けて送る言葉を教えてください。
カタカナの「アッ」ですね。日本語の最初の一文字である「ア」を送ります。何事も初めの一歩を踏み出してみると全く違う景色が見えます!。「ッ」にはユーモアをこめてあります(笑)
おまけ
取材をしている中でインタビュアーが感じたのは、藤森さんのユーモアでした。
ユーモアの秘訣を教えてください
これは会社員時代の営業の仕事で学んだ事ですが、人に何かお願いをして断られたり、思った返答が帰ってこない時はこちらの反応が凄く大事です。
例えば、営業をしていて自社の商品を買って貰えない時に、いらない!と言われたから帰るのではなくて、買って貰えない理由を聞き出す必要があります。その理由は、緊張して固まっていると話してくれないので、自分自身で話しやすい環境を作ることが大事です。
その経験から私自身も人と話す時は、自分がおちゃらける事によって相手が話しやすい雰囲気や環境を作り出す様にしています。