大企業のITエンジニアから薪ストーブエンジニアへ 【佐藤哲郎】
今回インタビューに応じていただいたのは、サトーステンレス代表の佐藤哲郎さん(39)。
佐藤さんは18歳の専門学校進学と共に上京し、卒業後は新卒で入社した中小企業から誰もが知っているような大企業2社へ着実にステップアップしたキャリアを歩んできた。
そんな佐藤さんは何故今、地元である長野県佐久市望月に戻り薪ストーブの製作を行っているのか?
また、佐藤さんのやりたい事に対する考え方とは?
若者が悩みを一つ解決するためのヒントがこのインタビューの中にあるのかもしれない。
サトーステンレスの代表になるまで
ーー高校卒業後は東京に進学
そうですね。
高校を卒業したら上京しようと決めていたので、東京の専門学校に進学しました。
ーー専門学校卒業後はネットワーク関係の会社に就職
最初に入った会社は、ネットワーク関係の中小企業でした。私は、パソコンや電話、プリンターなどの配線をする仕事をしていましたね。
会社を選ぶときに考えたのがスーツを着て、パソコンに向かっている仕事は自分には向いていないなと思ったので作業着を着て現場で仕事したいなという事でした。
その理由の他にも東京で働く事が一番の優先事項だったので、色々な会社を受けてたまたま受かった会社がその企業でした(笑)。
出向を経験
会社に入って1年間はネットワーク関係の仕事をしていたのですが、新しい事業を取り入れたい会社の意向で別会社へ出向する事になりました。
出向先の会社では、主にシステムエンジニアの仕事をしていたのですが、元々そんな分野の知識も技術も全く勉強した事がありませんでした。
ですが、自分で色々な事を吸収して仕事をやっている内に、その仕事が面白くなってきたんですね。
出向から戻る
そんな頃に出向先の会社から元の会社に戻る事になったのですが、私が出向先で学んだ知識や技術が活かせる仕事が元の会社にはありませんでした。
なので、自分で営業をして仕事をとってきて設計・構築・納品までをこなしていました。
ーー転職で大企業2社を経験
1社目で様々な仕事を経験しているうちにもっと大きな仕事がしたいと思うようになり、2度転職をしました。
転職先の会社はどちらも誰もが名前を聞いた事があるような大企業で、そこでの仕事は本当にキツかったですが、楽しくもありました。
私の他にもデータベース、アプリなど色々な分野のエンジニアもいて、その人たちと話をするのも楽しかったし、何より今までの会社ではできないような大きな仕事も経験する事ができました。
ーー父が倒れる
東京で仕事を初めて14年が経った頃に、地元でステンレスや鉄製品の工場を営んでいた父が倒れたという知らせが入りました。
すぐに地元まで帰ってきたのですが、病院にいる父の姿を見た時にスッと自分の中で、
「自分が継ごう」と思ったんですよ。
これから自分が東京に戻って父の工場を継がない人生と、父の工場を継ぐ人生を考えた時に、どちらにしても後悔はするんですが後者の方がいいなと思いました。
これまで父が作り上げてきた工場が廃れていったり他の人の手に渡るのは嫌だなと思って。
(それまでは父の工場を継ぐ事は一切考えていなかったし、自分ではこれからも東京でサラリーマンを続けていこうと思っていました)
ーーお父さんはどんな方だったのでしょうか?
とにかく職人気質な人でした。常に仕事について考えていて、父の様子を見ると仕事が上手くいっているのかいっていないのかがすぐ分かりました。
それから常に物事にチャレンジしている人で、ハマった事があると没頭して仕事をしていました。
ーーお父さんから継いで欲しいと言われていたのですか?
父は口には出しませんでしたが、継いで欲しい雰囲気はとても伝わってきましたね(笑)。
父の後を継ぐ
ーーお父さんの後を継がれる前から起業したいという気持ちはあったのでしょうか?
東京の会社員時代で1社目の出向から戻って自分で営業から納品までを行った時に、これは自分一人でも起業してやっていけるなと思っていました。
その頃から社長になりたいなという気持ちはありましたね。
ーー継ぐ前からお父さんに仕事内容を教えてもらう事はあったのでしょうか?
学生時代の長期休みでアルバイトをしていた事があるくらいで本格的に父から教えてもらう事はありませんでした。
ーーいきなり工場を継がれて大変ではありませんでしたか?
そうですね。
ただ、0から全く分からない事を勉強したりするのは会社員時代に経験があったので、内容は違いますが役に立ちましたね。
ーー大変だったエピソードはありますか?
たくさんあります(笑)。
どんな事も経験だと思って、できる気がしない仕事を何事も経験だと思って受けたのですが、結局最後までできずに仕事が流れてしまった事もありました。
そんな事から、もちろん必要な時はありますが背伸びをしてもできない依頼を受けるのはやめるようにしました。
薪ストーブ製品をメインに事業を行っている現在
父が工場を切り盛りしていた頃は、薪ストーブもやってますよといった感じでした。
私が継いだ時も、正直薪ストーブ製品を売るよりも他のステンレス製品を売り込んでいった方がいいと考えていました。
ですが、お客さんから薪ストーブ製作の依頼があって、そのお客さんのためにどうしても作りたいなと思ったんです。
それから自分で使う用の薪ストーブを試しに作ってみたり、 試行錯誤の毎日を繰り返して父が作った薪ストーブの姿形のみですが作れるようになりました。
ーー全体の依頼のうち薪ストーブがやはり多いのでしょうか?
大体薪ストーブが6割、ステンレス製品が2割、その他の製品が2割といった感じですね。
ーー薪ストーブを作る仕事は楽しいですか?
私としては、薪ストーブを作る作業よりも薪ストーブの改善・開発をやっている時が一番楽しいですね。
モノ作りをしている中で、良かれと思ってやった事が実際に使ってみるとそうでもなかったり。
その時々で製品に満足する事はあるのですが、また改善点が見つかって満足できなくなるのを繰り返しています。
ーーやりがいはどんな瞬間に感じますか?
自分の作ったストーブを納品してお客さんが感動してくれた時ですね。
その瞬間にやりがいを感じます。
質問コーナー
ーー東京にいた頃と今ではどんな事が変わりましたか?
いち会社員と自営業、どちらも経験した私としては、自分で商売をやっているのは面白いなと感じますね。
継いですぐは東京でサラリーマンをしていた方がよかったかなと思った事もありましたし、大変な事はたくさんありました。
ただ、1年半くらい前から本気で経営を学び始めて時間はかかったのですが、最近成果に繋がる事が増えてきたので、自分の選択は間違っていなかったんだなと思っています。
ーー会社員時代の経験で役に経っている事はありますか?
いくつかあります。
今も昔も作るものは違いますが、同じエンジニアです。
例えば不具合が起きた時のトラブルシューティングの手法であったり、あとは前職でITに携わっていた経験からホームページを作る際に、プログラムのコードを見たりサーバーの設定をしたりする事に全く抵抗がありません。
若者に向けて
ーー「やりたい事がない」、「何をやったらいいのかわからない」という若者にはどんな言葉をかけますか?
私自身も、若い頃はやりたい事がない悩みを抱えていた一人でもあるのでその気持ちはすごくよく分かります。
中学校や高校の頃もやりたい事を聞かれると、周りはみんな音楽系の仕事とか、スポーツ選手とか何かしら答えるのですが僕だけなかったんですよ。
若者に限らずもし今そういった事で悩んでいる人がいるとしたら、焦らなくてもいいと伝えたいですね。
やりたい事は頑張って見つけようとして見つかるものではないし、人に持った方がいいとか持てと言われてパッと見つかるものでもありません。
何かをやっている時に、ふっと降りてくるものだと思っています。生きていると色々な事が起きるんですよ。その中で自分がふと楽しいんだと思える事が出てきます。
僕も、少し前までは東京でのサラリーマン生活を続けていくと思っていましたが、今では地元で工場を営んでいます。こんな事10年前は一切考えていませんでした。
なのでとにかく焦らないくても大丈夫です。
ーー最後にこの記事の読者に向けて送る言葉を教えてください。
「美」を送ります。
やりたい事があってもなくても皆さんは美しいので悩む必要はありません!
取材のあとがき
佐久/小諸/御代田・軽井沢地方のお客様を中心に鋼板性薪ストーブ関連の製作販売設置を行っているサトーステンレス。
SNSでのフォロワー数は450人を超え、依頼の大半は運用しているホームページからのお問い合わせだと話されていました。
ホームページについては事業サイトと薪ストーブに特化したブログサイトの2つを運営されており、その奥には論理的な戦略を感じました。(このメディアでも参考にしたいものです)
また取材中も、サトー式薪ストーブは暖をとるだけでなく、ガラスから見える炎によって空間すらも温めてくれたように感じました。
(全く曇る事のないガラスから見える炎に終始見惚れながら取材をしていました…)
いつかオンクリの表札、看板?を作る時にはサトーステンレス様に依頼します。本当に取材をお受けいただきありがとうございました!
↓↓イメージはこんな感じです!↓↓