【26歳会社員 兼 ゲーム実況者】のボクが今の若者に伝えたいコト
こんにちは、オンクリ編集部の中沢です。
簡単に自己紹介をすると、
性別:男性
年齢:1994年6月4日生まれの26歳
職業:会社員 兼 ゲーム実況者
好きな芸能人:フカキョン(最近見れなくてあんまり悲しい)
と言った感じです。
最近の若者には夢がないとよく言われます。
インターネットの予測変換で出るくらいには日本各地で起こっている問題なのでしょう。
私自身やりたい事も明確にしないまま30歳近くまで生きてきました。
この記事では私のやりたい事にたどり着くまでの生い立ちを晒していきたいと思います。
夢がない事に悩む方、自分のやりたい事を探している方に向けたメッセージ性の溢れる記事にしたいと努めて書いてますが、あくまで一個人が人生30年近くかけてようやくやりたい事に辿り着いたお話、温かい目で最後まで読んでもらえればとと思います。
“ボクの歴史”
自分を閉ざした中学時代
私の人生において私の基盤となる部分が構成されたのが中学校時代です。
小学校では成績もそこそこ良く、学校の委員会で役員を務めていた事もあり、中学校入学当初は調子に乗っていました。
率先してクラスの役員を務めようとしたり、厨二病を患ってとにかく目立つようなことをしたりと、今にして思えば心のままに人生を謳歌していました。
しかし、目立てば角が立つもので、しばらくするとそんな私を疎ましく思ったのか、一部の人間からちょっかいを出されるようになりました。
世で言ういじめというほど過激ではありませんでしたが私の中では苦痛であり、その状態から脱したいがために私は段々と目立つ事をしようと思わなくなりました。
次第に平凡である事を維持するようになっていき、クラスでも目立たない優秀なモブが出来上がりました。
中学時代を通して私は自分が傷付かないためにどうしたらいいか、他人と衝突しないためにどう立ち振る舞えば良いかというのを考え生きるようになりました。
とにかく他人と衝突するのを回避する為に周囲の状況に常に気を張り、危険が及びそうなら逃げるという弱小ムーブは未だに心に根付いてます。
惰性で生きたハイスクールライフ
高校生活は惰性と妥協、そして怠惰に満ち溢れた生活でした。
中学でやっていたソフトテニスを目的もなく惰性で続けて大した成果も得られず引退し、残りの高校生活を遊びたいがために進路もテキトーに決めて遊び呆ける毎日でした。
将来のことなど微塵も考えずにその瞬間を楽しむことで将来への不安を紛らわしていたようにも思います。
そんな高校時代の中出会ったものがあります。
それがゲーム実況動画です。友人から紹介されてゲーム実況という存在を初めて知りました。
昔から人がゲームをやっている姿を見るのが好きだったのでゲーム実況というカテゴリーを私はすぐに好きになりました。
気付けば暇があるとゲーム実況を見るようになっていました。
しかし、ゲーム実況という当時はマイナーであったものを見るのが趣味とは言えず、普段何をしているかと問われるとゲームやって寝てる、と答えるようになっていました。
この頃から自分のプライベートを隠し、自分の事を人に話さない人間になっていました。
就職してから2回退職するまで
高校を卒業した後、私は自動車整備の専門学校に進学しました。
進学理由は専門学校に行けば就職に困らないからというよくある理由でした。
学校の中で覚える知識や技術は楽しく日々に不平不満はありませんでした。
このまま大した出来事なく就職して一生を終えるのだろうと割と本気で思っていました。
1社目に就職
専門学校を卒業後私は大手の自動車ディーラーに就職しました。
しかし就職から1年もしないうちに私はこのディーラーを辞めることになります。
理由としてはサービス残業の量が多かったからです。
自分の作業は終わっていても先輩の作業が終わるまで帰れない、というよく聞く内容だと思います。
しかもその間自分ができるのは工場の掃除くらい。
暇を持て余すことに苦痛を感じ、自分が何もせずに残っている時間がもったいない!というそれだけの理由で辞めました。
自分でも意外すぎるほどの決断です。
中学、高校となるべく自分を出さずに生きてきた自分が退職に踏み切れるだけの度胸があったことに驚きました。
ここで初めて自分を見つめ直す機会を得ることになります。
2社目に就職
自分が本当にやりたい事はなんだろう、何をやりがいにすれば仕事を続けられるだろう、と悩みました。
そして当時その答えは出ませんでした。
結局面白そうなことをやっている、という理由で私はとあるベンチャー企業に就職しました。
そこは農機具の販売・整備やインターネット事業をしている会社で、私はその掛け合わせに興味を惹かれました。
私が入ったのは農機具の販売・整備をする部署でした。
入社して1月ほど経った頃社長から新しいサービスの立ち上げをやってみないかと声をかけられました。
内容としては、農機具部品のネット取り寄せサービスというもので運用や料金設定など全てが自分にとって新しい挑戦でした。
しかもネット関係については自分に全く知識がなかったため、周りの人に頼り切りになる事ばかりでした。
苦労してサービス開始にこぎつけたものの最初の数ヶ月は売り上げが立たず、苦悩する日々でした。
その後さまざまな試行錯誤を繰り返し、1年経つ頃にはそれなりの売り上げが上がるサービスとなっていました。このサービスが軌道になってからは私は農機具の営業を主業務として行ってきました。
が、、、良くも悪くも僕が入社したこのベンチャー企業は放任主義でした。
僕の部署では個人ごとに目標金額の設定がされており、1日の予定をスタッフ個人が決めて業務をしていました。
しかし、突発的対応やクレームが入ると個人の立てた予定外でも上司から指示をされ対応をしなければならない事が多く、その日出来なかった業務を夕方残って終わらせる、という事が多々ありました。
自分のやることがなかった前の職場に比べればやることも残っているし、自分のためになると思ってやっていました。
しかし、突発的な対応はともかくクレームの対応などはお金にならないことが多く私は営業実績が上がらない問題に直面します。
販売したものなどはその販売した人に対応してほしいものなのですが、人の入れ替わりも激しいためか購入した時の担当者がすでに辞めてしまっていて結局自分が対応しなければなりませんでした。
こういったしわ寄せばかりなだれ込んでくる日常の中で私は怒る気持ち、現状を打破したい、という気持ちを抑え込み、とりあえず会社に来ていう事を聞いて実行する人間になります。
自分とは真逆の人間との出会い
会社に来て仕事をして帰ったらゲームの実況を見る、そんな感じで2年ほどたったある日私はとある人物に出会いました。
その人は簡単に言ってしまえば『自分の意見を言える人』でした。
自分の意見を言える、それは当たり前にできる気がして私が一番できないことでした。
人との衝突を何よりも避け、人にばかにされてしまう気がして自分の好きなこと、趣味、やりたいことも言えない自分が出会った自分とは真逆のそれができる人。
その人との出会いをきっかけに私は自分の好きなもの、趣味くらいは言えるような人間になったんじゃないかなと思います。
そしてなんやかんやあって2社目も退職しました。
ゲーム実況を始めたワケ
高校生でゲーム実況に出会ってからかなりの実況プレイ動画を見てきたように思います。
そして見ているだけではなく自分でやってみたいという気持ちもだんだんと強くなっていきました。
でもやってもうまくいかないし、そもそもやる環境だってないし、と諦めながら生きて10年弱。
前職での出会いからもう一度自分のやりたいことを見つめてみようと思って出てきたものは、10年見続けてきたこのゲーム実況しかありませんでした。
昔と比べて世の中におけるゲーム実況の認知度も高まり、今まで以上に人気になるのは困難な時代だと言えるでしょう。
それでもやってみたいという気持ちを抑えられず2021/01/31に私はヌルフホッキヌスという名前で動画投稿を開始しました。3か月ほど経ちましたが登録者は16人と絶賛伸び悩み中ですがそれでもやってよかったと思っていますし、これからも続けていきたいと思います。
若者に伝えたいコト
何事にも流されてばかりで自分からやり始めることをしなかった自分が始めた初めての自分のやりたいこと。
結局のところ、なぜはじめられたかといえば自分がだれかに肯定されたから、かもしれません。
僕の偏見ですが、人間というか日本人は本当に面倒くさい生き物で枠から外れたことをするのを嫌うものだと考えてます。
とにかく個というよりも集団性に重きを置いていて枠から外れたものを遠ざけたり、迫害したりします。
そのまま突き抜けて大事を成し遂げるやべーやつも世の中にはいますが誰しもそんなストロングハートを持っているわけではありません。
中には枠から外れることを恐れ、枠の中で自分を殺して生きることになる人もいると思います。
小心者であればあるほどやりたいこと真空パックに詰めてしまいます。でも腐ったりしません。
いつでも取り出すことはできるのです。多分…
そんな人に必要だと思うのは自分を肯定してくれる存在だと私は考えます。
今の世の中、あなたと同じ夢や理想を抱いている人はたくさんいると思いますし、それらの人と簡単につながりを持つこともできる便利な時代になりました。
本当にやりたいと思っていることであればきっかけさえあれば走り出すのは多分簡単です。
走り出した後に「やっぱつれぇわ」と感じることは絶対ありますがそれは壁にぶつかるごとに考えていけばいいと思います。
走り出すタイミングは人それぞれですが、始めるタイミングに”遅すぎる”ということはないと思います。しかし、早いに越したことはありません。
このブログを見てくださった方の中に一人でも走り出してくれる人がいるのであれば幸いです。