「夢がなければ実現がない」長野県東御市の現役市長が語る夢を持つ事の重要性とは?
花岡としおさんについて
ーー生まれはどこですか?
山口県の宇部に生まれて育ちました。瀬戸内海に瀕した炭鉱町でしたので気性が荒い人が多い街で、気性の荒い人と同じくらい明治維新にプライドを持った人も多かったです。
小学生の時の担任の先生は非常に印象に残っています。その先生は吉田松陰が大好きな人でした。その先生がよく仰っていたのが
「常識から新しい時代は生まれない。常識は新しい時代の邪魔になる」と言う事でした。
それから
「夢が大事である。夢がないと計画ができない。計画がないと実行がない。実行がないと実現もない。」
と言う事も日頃から言われていたので吉田松陰の弟子である高杉晋作に憧れていました。そのせいか分かりませんが、やんちゃな性格でしたね。
ーーその頃将来の夢はありましたか?
私は覚えていないのですが、小学校の担任の先生がおっしゃるには、
「船乗りになって日本から飛び出したい」
とよく口にしていたようです。海運業をやっている親戚がいたり、周りに漁業の関係者もいたので海というものが身近にありました。
ーー信州大学の農学部に進んだ理由を教えてください
大学を選ぶ基準は高校生時代から続けていた植物系の研究と登山でしたので、両方ができるという事で信州大学の農学部を選びました。
ーー信州大学は最終的に中退されていますがなぜでしょうか?
在学中に子供ができたので、稼がないと生きていけないと思い中退しました。当時は中退する事に全く抵抗がありませんでした。今思うと親には申し訳ないなと思いますね。
ーー大学中退後は何をされていましたか?
マスコミ関係のリサーチの会社や食品関係の会社で働いていました。
人生について
ーー人生の中で一番嬉しかった事を教えてください
娘に褒められた事ですね。
娘が高校生の時の作文で「尊敬する人」というテーマがありました。それに私をあげてくれたんですね。
理由は、娘が小さい頃から商店街で取り組んでいた街路事業です。そのころは、毎日のように商店街の仲間たちと会議を重ねていました。成長するにつれて変わっていく商店街をみて、私の父は不可能を可能にした。そう言ってくれたのはすごく嬉しかったですね。
ーー20代にした失敗はありますか?
麻雀をやっていて、大切な約束を忘れた事があります。それから麻雀をやめましたね。
ーー人生の中で出会ってよかった人を教えてください
私にとってはやはり友人ですね。小学校から高校まで一緒だった友人や、それから信州大学の山岳部で会った友人などは今でも付き合いがあります。
ーー幸せを感じる瞬間を教えてください
目標を決めて実現するために努力をして近づいている瞬間ですね。それが私の幸せに通じるのではないかと思っています。
仕事について
ーー自身が市長を務める東御市はどんな場所ですか?
「ひだまりの街」ですね。以前、市として東御市はどんな街か?という事を話し合った機会があったのですが、南面傾斜でどことなく居心地がいい場所という答えに辿り着きました。
ーー東御市のいいところを教えてください
人が優しい事ですね。北国街道が古くからあるので人を受け入れる気質もあります。
ーーどんな市を目指していますか?
そもそも地方がなければ都市も成り立ちません。
今までは地方でたくさん子供が産まれて、育ち都会に出て行って都会を元気にする。
という構図でしたが、今はその供給源がなくなっているわけです。
地方に若い世代が少なくなって、都会にも高齢者しか残らないという最終局面に対して、地方にいる利点は何かを考えると、
少なからず、都会でコンクリートの高級マンションに住んでいるよりも土に触れていた方が満足する人が世の中にはいる。
それを感じてもらう事が、必要だと感じます。
今まで地方の欠点だと思っていた自然や地形、気候風土を活用して、東御市っていいところだよね。と住んでいる人たちが感じてくれる事を目指しています。
ーー市長という職業のいいところを教えてください
自分の思い描いた価値観、ゴールを市職員と共有しながら更に市民の理解を得て実現する事ができるポジションにある事です。
あとは私が市長を務めている東御市は財政が潤沢にあるわけではありません。そのため何かの目標を実現するために財政だけに頼るわけにはいきません。その努力の中で通常では会う事のできないような大企業の社長さんと会う事ができたり、協力していただいたりするところは東御市長ならではのいいところですね。また、財政に頼らずに努力を重ねたからこそ、考えてもいないところでまちづくりが進んだりすると、市や自分自身の成長を感じます。
ーー市長という職業の悪いところを教えてください
よくも悪くも東御市長であるという事は人の見本にならなければなりません。自分の一つ一つの行動を意識する必要があります。
自分で描いた理想的な市長像に自身を近づける。例えばゴミが落ちていたら私であれば拾うかではなく市長であれば拾うかを考えてしまいます。
それによって私自身の人格力が上がるというメリットはありますが、人の見本であり続けなければいけないのは大変と言えば大変です。
ーー市長という職業の原動力を教えてください
私自身が仕事が好きすぎるんです。仕事をしている事自体が喜びなので、自分がやったほうがいい事を見つかるといてもたってもいられません。
ーー若い人を見ていて感じる事
転職する人が多いと感じます。私からすると転職する事も挑戦の中で必要ではありますが、石の上にも3年という言葉もまた事実です。
大事なのは経験を負の遺産にしない事。それを考えて欲しいですね。
若者に向けて
ーー人を動かすコツを教えてください
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」
山本五十六の言葉ですが、この言葉にもあるように自分にもできない事を部下や他人にお願いしない事です。
それと頼んだ仕事を自分であればどうやるのかを教えて、実行させて褒める。そうでないと人は動きません。
最近だとスポーツの世界でも変わってきていますが、やってみせる事ができないまでも選手に科学的かつ論理的に、なぜこの練習をするのかを説明して理解してもらう。そうでないと上手くなりません。
スポーツ選手は選手生命も長くない中でそのプロセスは、他の道に進んでも必ず役に立ちます。
ーー「やりたい事がない」、「何をやったらいいのかわからない」と言う若者にはどんな言葉をかけますか?
本を読んでもらいたいです。本を読む事の過程の中で自分の中に存在する他者(もう一人の自分)と対話が生まれます。
本はどんなものでもいいですが、それによって本当に自分のやりたい事や自分の声を聞く事ができます。
仕事について
本来人間にとって仕事とは嫌なものであってはならないと思います。仕事というのは命の営みの一部を売っている事になります。それが自分にとってやりたい事であれば素晴らしいし、喜ばしい事です。
最近は働き方改革が浸透してきていますが、世の中には仕事が好きな人が少なからずいて、その人からすると働き方改革というのは必ずしもいいものではないと思っています。その上で人それぞれ大切なものは違うので、家庭を大切にしつつ頑張りたい人は頑張って欲しいです。
ただ、残業ありきの仕事があるのであれば、それは解決しなければいけない問題ですよね。残業が発生しているのであれば賃金を支給すべきです。
人間関係について
人間、相性と言うものがあって合わない人は本当に合いません(笑)。
だから相手が悪いと言う事ではなくて単に相性が悪いだけ。それなら自分から関わらない。そう生きていくのが一番いいと思います。
私自身は人たらしなので苦手な人はあまりいませんけどね。
批判との向き合い方について
市長という職業をやっていると、当たり前なのですが批判的な意見が聞こえてくる事もあり、ネガティブになる事もあります。
でも、常識的な事をして全ての市民に嫌われない生き方、現状維持をしようと思えばできます。
ただ私は地方創生を目指しているものとして、時には常識に囚われない事を推し進める立場でもあります。そうしなければ本当に地方である東御市の継続が難しくなってしまう。
そんな思いで、批判にも耳を傾けながら東御市の未来に責任を持たなければいけないと思っています。
ーー最後にこの記事の読者に向けて送りたい言葉を教えてください。
「夢」ですね。みなさんに夢を持って生きて欲しいです。