フリーランスデザイナー/小田航平さんが話す【ずっと苦しかった20代】の理由とは
首都圏の大学2年生〜4年生に対して実施したアンケート結果によると、
・大学に入学した理由
の回答結果として19.0%の学生が
・みんなが行くから
9.5%の学生が
・なんとなく
と回答しています。
この結果からも分かるのと同じように
「やりたいことも決まっていないけど将来のために大学に行っておこう。」
「周りが行くから自分も大学に行こう」
と考える学生は少なくないように思います。
今回インタビューした小田航平さんも、そんな想いを経験したことのある一人。
小田さんの学生時代について
高校を卒業してやりたいこともなかったので、周りがみんな大学に進学するという理由で流されて自分も大学進学を選びました。
進学してからの大学生活の記憶で強く残っているのはお酒とアルバイトですね。
(お酒に関しては毎日飲んでいました(笑)。)
とにかく楽しかったんですが、自分はやりたいこともない中で放っておいて好きなことをやっていいとなると、悪い意味で好きなように時間を過ごしてしまうことが多々あって…。その時になんだか分からない虚しさを感じることもありました。
ですが、アルバイトに関しては今でもやっていたよかったなと思うことができています。というのも、僕自身、スポーツが小学生の頃から大好きだったんです。
小学校では野球とサッカー、中学では野球、高校ではテニスと色々な種類のスポーツを経験したし、体育の成績は学年で1番、学校で行われた持久走大会では全校で2番でした。でもその中でも体の仕組みを考えることが特に好きでした。例えば、こういうプレイがしたい!と思ったときに、どんな風に力を入れてどこの筋肉を動かしたらいいのかとか。あとは、何を食べたら筋肉がつくかとか。しかも実践してみても割とうまくいったんですよね。
ーーそうなんですね!でもスポーツ系だったり、医療系の仕事に就こうとは思わなかったのでしょうか?
いや!そんなことはなくて、本気で理学療法士になろうと思ったこともあったんです。
ーーそれはいつのタイミングで思ったんですか?
ちょうど同級生が就活の準備を始めるタイミングくらい。なので大学3年生の冬です。その頃はスノボにハマっていたんですが、ある日ジャンプに失敗して肘を骨折しました。ヒビが入るとか、ずれるとかではなくて完全に折れてしまいました。ちょうど年末年始の時期だったので病院でもすぐに手術をしてもらうこともできず、ギプスを巻いた状態でひたすら安静に過ごしました。これがもう本当に大変で、寝返りも打てないし鬱血もしてくるしあの時のことは一生忘れません(笑)。
その後手術もしてもらって無事に回復方向には向かったんですが、ギプスを外した時に筋肉が落ちて見違えるくらい細くなっていて、少し動かすだけで激痛が走る自分の腕を見てとても驚きました。
その時に、
「腕というのは力がないと上がらないし、動くというのは簡単なことではないんだな。」
と実感しました。(代償は大きかった…。)
それから少しずつリハビリを重ねて、また筋肉もついて普通に問題なく腕を使えるまで回復したんですが、この時にリハビリを手伝ってくれた理学療法士がものすごくカッコよく見えました。
そのタイミングで理学療法士になりたいと思いました。
ーー実際に理学療法士にはなられたんですか?
いえ。実際に理学療法士にはなっていません。ちょうど大学3年と就活の時期でしたし、なるにはどうしたらいいか?を調べれば調べるほど就職浪人をしてまで理学療法士になる覚悟はありませんでした。ですが、この時に本気で自分のやりたいことを考えるようになりました。
ーー考えた結果、やりたいことはなんでしたか?
やりたいことを考えて、辿りついた答えは「頭を使うことがしたい」でした。その中でも、昔から本や雑誌が好きということもあって、自分もこんな本や雑誌が作れるようになりたいという思いから編集に関する仕事を軸に就活をすることになりました。
とはいっても、大学の学部も編集者に必要なスキルとはかけ離れていたので、半年間かけて編集者に必要なスキルを学ぶことのできるスクールに通うことにしました。その後、スクールで勉強をする中で、編集に関する仕事の中にも、デザイン、インタビュー、文章を書く人、企画をする人など様々な職種があることが段々とわかってきて、その中でも自分は企画を行うことが好きだし、向いているなと感じました。
ーー始めて自分の全力を出し切った卒業制作
スクールでは、半年間の勉強の集大成として卒業制作を行いました。テーマは「自分でインタビュイーを選んで記事を完成させること」でした。
インタビュー対象者に大学時代ずっとアルバイトをしていたスポーツショップの同僚でプロ野球選手を目指していたAさんを選びました。
その人は、取り憑かれたようにひたすらとプロ野球選手を目指しているAさんとは、最後に会ってからインタビューするまでに1年間ほど時間が空いていたので、まだ目指しているか心配な気持ちもありました。
ですが、連絡してみると諦めずにいまだにプロを目指していて、今は関西の社会人チームでプレイしているとのことで、関西に赴いて取材を行いました。より記事を作るためにAさんの他にも、Aさんのチームメイトや監督にも取材しましたね。
記事を作る際もああでもない、こうでもないを繰り返して自分の中でもこれ以上ない出来の成果物が完成しました。結果として、60人の卒業生の中で銀賞を取ることができました。これは人生の中で始めて自分の全力を出し切った成功体験でした。
(このスクールは東京でしか開催していなかったので、地元の愛知から週に一回夜行バスに乗って東京に通っていました。スクールが終わった後に飲む同期と一緒に飲むお酒が卒業制作で銀賞を取ったことに次ぐいい思い出です(笑)。 )
ーー就職活動
スクールが終わってから、やはり自分は編集の企画をしたいと思って就職活動をしたのですが、希望の職に就くのは難しく、記事を作る仕事をしている東京の編集プロダクションに就職することにしました。
東京での社会人時代
ーー新卒で編集プロダクションに就職
ここはすごくハードな会社でした。大体8:00~1:00までは当たり前に働いていたし、寝る時間を削ってひたすら仕事をする。その上に上司からはやる気がないとか散々に言われました。心も全く休まらないし、ストレスの吐きどころもない、どんどん自己肯定感も下がっていって限界がきて、1年ほどで退職しました。
ーー2社目に入るまでは何をしていましたか?
何をしていない期間もありました。フリーで編集の仕事を受けたりはしていたんですが、仕事をしていない時間を満喫していたかな。
東京に出てきたもののひたすら仕事をしていて、出かけた思い出もなかったので、鎌倉へ一人旅して美味しいご飯を食べたりきれいな景色を見たのは今でも覚えています。
ーー辞める時に不安はありませんでしたか?
不安はあまりありませんでした。
1年間ハードな環境の中で働いたので手に職はついたと思っていたし、自分のやりたいことは雑誌だけではないなと気づいたんです。
やりたいことの抽象度を挙げてみると「何かを企画して作り上げて表現する仕事」がしたかったので、それは雑誌や紙だけでなくて他の媒体でもいいなと思いました。
ーーNewsサイトを運営している会社に転職
2社目はNewsサイトを運営している会社で、そこでの仕事は面白くて自分のピックアップした記事がサイトに掲載されて色々な人が見てくれていると思うとやりがいもありました。
しかしこの仕事もしばらく続けているうちに東京にいることに違和感を感じ始めました。
ここにいる人たちは、みんな何者かになろうとするけど、よくみるSNSでの成功者のように全員がキラキラできるわけではないんだと。
そんな中で地方に移住して起業する人の話をよく聞くようになって、自分にもそんな選択肢があるなと感じてまたまた転職することにしました。
ーー3社目に転職
地方移住にとても興味があったので、地方で仕事ができそうで、かつ編集の経験が活かせそうな会社を選んで転職しました。
この会社で初めて仕事上で尊敬できる人との出会いがありました。
その人からは、編集者としてのこれからの時代の生き方や、人の役に立つコンテンツの作り方を教えてもらいました。
ベンチャーだったので、編集者以外の仕事もたくさんあって営業以外の仕事は全てやっていた気がします。
3年後に独立してフリーランスになるのですが、この会社での経験は今につながっているなととても感じます。
デザインワークス立ち上げ
デザインワークス立ち上げてからすぐは、ひたすら色々な仕事をやっていました。
2年目に入ってからは変化も多くて、同じ世代の独立しているフリーランスとの出会いだったりと繋がりがたくさんでき、そんな仲間たちと協力して仕事をすることも増えました。
3年目は自分の事業の名前をたくさんの方に知ってもらった年でもあります。
佐久市の「さくさぽ」サイトを作ったり、御代田町のクラウドファンディング公式サイトを作ったり、大企業から大型の案件を受けたりもと案件の規模感も着々と上がってきたと実感しました。
加えて、自分の事業についての強みであったり、何をしたら利益が出るか、自分は何をしたら楽しいと感じることができるのかが直感的に分かるようになってきましたね。
小田さんがデザインワークス3年目で気づいたこと
デザインワークスでの3年間を通して色々な仕事をしてきましたが、自分は
0→1でも、
1→100
がやりたいのでもなく、
1→5くらいがやりたいことなんだなと気づきました。誰かが立ち上げた想いのこもった事業に対して、目的の達成のために協力する。そして5まで成長させる。
そのために可能な限り近い距離でフットーワークを軽くして応援したいと思っています。
ただ、目的達成のための手段を自分の知識や技術に限定してしまうと提供するサービスの幅が狭くなってしまうので、僕の周りにいる各分野のスキルを持った仲間たちの力を借りて総合的に提案しています。
質問コーナー
ーーデザインワークスの名前の由来を教えてください。
デザインがワークスする(働いてくれる)という意味です。ただの自己満足のデザインではなくて、【売れる】をテーマにした誰かの課題を解決できるデザインを提供しています。
ー座右の銘はありますか?
「謙虚に大胆に」です。僕は、昔から生意気だとか礼儀を知らないとか言われることが多かったんですが、それが独立してから足を引っ張ったことが一度もありませんし、むしろ役に立っています。
これは生意気でいいとか礼儀を守らなくてもいいと言っているわけではありません。
ただ、相手と信頼関係を築く上で謙虚である必要はあっても、謙る必要はないと思っています。その上で相手に対してメリットのある提案をするために大胆になる必要はあると思いますし、それによって信頼関係を築くことができた例が多々あります。
ーー若い頃悩みはありましたか?
若い頃と共通で今でも感じている悩みがあります。
「人の気持ちを汲み取るのが難しい」
ということです。これはみんなそうかもしれませんが、自分では最大限理解しようとすることしかできなくて。思えば一人になりがちだった気がします。
ーーネガティブになることはありますか?
ないです(笑)。
何かあってもフリーランスなので会社は責任を取ってくれないし、何か問題があってもそれを解決するためにひたすら手を動かす、どう打破するかを考えるしかないので。
ーー小田さんの20代はどんな20代でしたか?
楽しい思い出だけではないし、苦労の多い20代でした。
でも苦労ばかりで、悩みはありませんでした。考える暇もなかったですしね。その時に経験できる苦労や不安を全てしたという自負はあるので、そこで感じたことや、染み付いた考え方は結果として今に繋がっています。
ーー小田さんにとって仕事とはなんでしょうか?
僕が社会と繋がるための道具です。
お金を通して誰かと何かを約束してそれを成し遂げる。
それは僕だったら【売れる】デザインを作ることだし、もしかしたら美味しい料理を作ることかもしれないし、その約束が仕事だと思っています。
ーー「やりたい事がない」、「何をやったらいいのかわからない」という若者にはどんな言葉をかけますか?
あくまで僕の意見から言えることですが、とにかく動いてみることが大事かな思います。
やりたいことがないがないと自分では思っていても、毎日生きていたら食べたいものがあったり、ふらっと行きたい場所が浮かんだり。
そういった小さく思えることにフォーカスして、その瞬間を深掘りしていけばそれがやりたいことに繋がってくるので、やりたいことが「ない」というより「見つからない」が正しいんじゃないかなと。
何もせずにいると苦しい状態が続いてしまう気持ちは僕自身もすごくよく分かるので、まずは何か自分の楽しいと思える瞬間を切り取ってみてください!。
絶対に好きなことは見つかります!
ーー最後にこの記事の読者に向けて送る言葉を教えてください。
「暇」。
僕が大事にしている言葉でもあります。
頑張ることも大切ですが、方向性や、自分が本当にやりたいことができているか、意識して暇を作らないと見失ってしまうものがあります。
暇な時間に自分がやりたいことが多分本当にしたいことだと思うので、そんな視点で自分をメンテナンスするために暇な時間を作ってみてください。